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 雪舟と蟠竜湖を紹介しま~~す、ニャン。     
 歌人柿本人麻呂なる歌人を知っているかい? おいらは毛づくろいで忙しいから知らないニャン。勉強しまっす。紹介の始まり、始まりニャン。

動画は、素人のデジカメ撮影で手ぶれ等お見苦しいかもしれないです。申し訳ございません。

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感想(2件)

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蟠竜湖は、益田市の郊外にある湖です。湖沼景観を主体とした公園であり、湖は上の湖と下の湖に分かれて変化のある景観を見せています。万葉植物公園では、万葉集に詠まれた植物が栽培され、美しい花を咲かせます。
 
 191号線、333号線の分岐案内板


 蟠竜湖への案内板(石見空港近くから) 

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            動 画(岩見空港・万葉公園・蟠竜湖への案内板)
 
 蟠竜湖近くの案内板

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            動 画(柿本人麻呂の記念碑)



 蟠竜湖のある県立万葉公園案内板


 蟠竜湖からの山手側風力発電




 蟠竜湖の写真






 朱色の山門




 本堂(国重要文化財)


 右から ”清翔山”と読みます


 雪舟の胸像と文化財指定の標柱






 収蔵室の仏像(市指定有形文化財) 多聞天立像 持国天立像 観世音菩薩立像












 寺院様式の須弥山世界(仏教の世界観)を象徴した石庭

                                         このページの先頭へ



   [益田駅です] 
      雪舟と蟠竜湖
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9号線から蟠竜湖

蟠竜湖は、国道9号須子交差点(柿本神社入口)から約3kmの位置にあります。また、国道191号蟠竜湖入口からでは約3kmになります。
































































人麻呂と万葉公園

 
歌人柿本人麻呂は、8世紀初めに石見地方に住んだ万葉時代の歌でありこの地方の古代文化の象徴となっています。島根県では県立都市公園として柿本人麻呂にゆかりの深い益田市に、万葉のロマンを広く世に伝え、石見神楽などの郷土芸能に接する知的レクリエーションの場として県立万葉本公園の一部を昭和57年9月に開園しました。その後公園を拡大し平成20年3月に最終完成しています。








































































蟠竜湖

周囲約4kmで湖岸線が複雑に入り組み、竜がとぐろを巻いたような形をしていることからこの名がついた。蟠竜湖県立自然公園の中心であり、ボートや釣りが楽しめます。








































萬福寺と雪舟

益田市の菩提寺で、本堂は鎌倉時代の様式を残し国の重要文化財に指定されています。寺院様式と呼ばれる手法で、作庭された池泉回遊式兼鑑賞式庭園は雪舟が手掛けたものです。無駄のない構成や安定した石組み、巧みな地割などが雪舟の面目を今に伝えてます。


































萬福寺

平安時代に建立され、安福寺(天台宗)と号し、益田川河口付近にありました。元応9年(1319)
に遊行4代呑海上人が当地に下向入寺された際、時宗の道場になりました。応安7年(1374)、益田七尾城11代城主・益田越中守兼見(かねはる)公が現在の地に移築して、萬福寺と改称し、寺領31石を与えて増田家の菩提寺と定められました。文明11年(1479)、15代城主・益田越中守兼克(かねたか)公が画聖雪舟を益田に招き、堂後に石庭を造らせました。






























本 堂

室町時代(1374)益田七尾城11代城主。 益田兼見ますだかねはる) により建立され、寺領31石を与えられ、益田家の香華院こうげいん)(菩提寺)とされた。
穏静簡古な造りは鎌倉時代の様式になっています。






































雪舟等楊せっしゅうとうよう)

日本水墨画の完成者と称される。我が国の美術史上において、常に最大級の賛辞をもって語られる人物である。応永27年(1420年)備中赤浜(岡山県総社市)に生まれ、幼くして出家した。井山せいざん)宝福寺(総社市)で、叱られて柱に縛られ、涙でねずみの絵を描いた話は有名である。





 







































益田越中守兼見

益田11代の城主で、石見地方を代表する武将です。南北朝時代、周防(山口県)の大内弘世とともに長い戦乱の続いた益田地方を平定しました。明徳2年(1391年)死去し、法名は萬福寺殿浄阿英山雄翁大居士まんぷくじでんじょうあえいざんゆうおうだいこじ)、墓(益田市史跡)は五輪塔で萬福寺霊園にあります。














世音菩薩立像、多聞天立像、持国天立像(市指定、有形文化財)

平安時代の作で、萬福寺の前身安福寺に安置されていたものです。









































日本水墨画の確立  

雪舟は、文明元年(1469)帰国後、大分で天開図画楼(てんかいとがろう)を開き、同10年には益田を訪問し、「益田兼堯像」(ますだかねたかぞう)、「山寺図」、「花鳥図屏風」を描き、萬福寺、崇観寺(すうかんじ)の両寺に山水庭を築いています。同18年、名作「山水長巻」を制作し、明応4年(1495)には「破墨山水図」、翌年は、「恵可断臂図」(えかだんぴず)を完成させています。 











































































雪舟庭園

池泉観賞兼廻遊式、寺院様式須弥山しゅみせん)風の庭園です。
文明11年(1479)、益田七尾城15代城主益田兼尭ますだかねたか)に招かれた 雪舟 が作庭した室町時代を代表する庭園と言われています。心字池しんじいけ)の護岸と緩やかな築山の頂上から渦巻状に広がる見事な石組、やや離れて位置する 三尊石さんぞんせき)枯滝かれたき)石組が一体となって須弥山世界(仏教の世界観)を象徴しています。